カブトムシ

風の吹いていた朝の公園で、木漏れ日がきれいだなと思っていたら、足元に、ひっくり返ってうまく動けなくなっている一匹のカブトムシがいた。こんなとこにもいるんだな、と驚きつつ、もとにもどしてあげたら、陽気な足音でも響きそうな軽快な足取りで近くの木に向かって歩いていった。ここはどこだろう、というためらいもなく、一直線で、早くお家に帰るんだ、という強い意思を背中に漂わせながら帰っていった。

時計の針

朝、誰もいない広場で時計を見上げたら、ちょうど長針が一つ進んだ。子供の頃、時計の長針が進むのを見たときに、なんだかこの世界の秘密を覗き見たような不思議な感覚になったことを思い出した。ああいう感覚のことをなんて言うんだろう。ちょっと違った世界に入ってしまったような、現実からかすかにずれたような、それでいて決して居心地が悪いわけでもないような、そういった感覚には、今でも惹かれる。映画監督の岩井俊二さんが、前になにかのインタビューで、映画作りにおいて子供の頃の迷子になったときの感覚を大切にしている、といったようなことを語っていた。もしかしたら、そのこととも少し似ているのかもしれない。はるか遠い世界というよりも、地続きのなかで浮遊するような、平然と歩きながら浮かんでいくような、それは落ちていく不安もありながら、飛翔もしている。

かくれんぼ

公園の広場で、お父さんと幼い娘がかくれんぼをしていた。娘が隅のほうで数を数えているあいだに、お父さんが小走りに木陰に隠れた。数え終わった娘が、少し歩いてすぐにお父さんに気づくと、満面の笑みで「見えてる!」と言いながら駆けていった。そのときの表情や声はあまりに楽しそうで、真っ直ぐだった。

雨と音楽

朝から雨と風が強くて身体がずっと重たかった。外で降っているのに横になっている自分にじわじわと降り積もっていくみたいだった。今日聴いた音楽、Maxime VerdoniさんのPoésie、静かでいいんだよ、と言ってくれるみたいな曲だった。それとあれはジャケットなのか、絵も素敵だった。

ベンチ

木の下のベンチに座り、光がこぼれてくるのを眺めていた。この時期の世界の色は、憂いも、焦りも、悲しみも纏っていない美しさだなと思う。