指先

かろうじて美しさへと伸ばす指先は、たとえ指先以下が汚らわしかったとしても決して矛盾するものではないと僕は思う。むしろそれゆえに、唯一の救いのようにして美しさを求めることもある。人間の世界の芸術は、そもそもがそんな風にして生まれるものなのではないかとも思う。表も裏もなにもかもが美しく、綺麗な人だけが、美しい表現をするような、そんな世界ではなく、悲しみも闇も含んだ土の上に芽吹き、育つもの。悲しみや闇を汚らわしいと消していったら、やがては美しさも消えてしまうように思う。

かくれんぼ

公園の広場で、お父さんと幼い娘がかくれんぼをしていた。娘が隅のほうで数を数えているあいだに、お父さんが小走りに木陰に隠れた。数え終わった娘が、少し歩いてすぐにお父さんに気づくと、満面の笑みで「見えてる!」と言いながら駆けていった。そのときの表情や声はあまりに楽しそうで、真っ直ぐだった。

時間の長さ

健やかであるほどに時間は長い。子どもの頃に時間が長く感じられたのも、今より健やかだったからというのもあるのだと思う。書き込めるだけの余白が澄み渡るように広がっていた。

雨と音楽

朝から雨と風が強くて身体がずっと重たかった。外で降っているのに横になっている自分にじわじわと降り積もっていくみたいだった。今日聴いた音楽、Maxime VerdoniさんのPoésie、静かでいいんだよ、と言ってくれるみたいな曲だった。それとあれはジャケットなのか、絵も素敵だった。