時計の針

朝、誰もいない広場で時計を見上げたら、ちょうど長針が一つ進んだ。子供の頃、時計の長針が進むのを見たときに、なんだかこの世界の秘密を覗き見たような不思議な感覚になったことを思い出した。ああいう感覚のことをなんて言うんだろう。ちょっと違った世界に入ってしまったような、現実からかすかにずれたような、それでいて決して居心地が悪いわけでもないような、そういった感覚には、今でも惹かれる。映画監督の岩井俊二さんが、前になにかのインタビューで、映画作りにおいて子供の頃の迷子になったときの感覚を大切にしている、といったようなことを語っていた。もしかしたら、そのこととも少し似ているのかもしれない。はるか遠い世界というよりも、地続きのなかで浮遊するような、平然と歩きながら浮かんでいくような、それは落ちていく不安もありながら、飛翔もしている。