エッセイ

ようやくエッセイ集の発売も過ぎて、なんとか告知もできた。これでいいのかもわからないまま精一杯書き続けた一年だった。「エッセイ」というものと改めて向き合った。ほんとうに人それぞれの形がある。僕にとってどんなエッセイの形が合っているのか、今もまだ模索中。結局それは僕自身とどれだけ温度感や距離感が合っているか、ということでもあるのだと思う。肩肘張っても着飾っても、剥き出しでも違う。強くあろうとしても、弱くあろうとしても消えてしまう。評判や売上も、もちろん大事ではあるし、他者の評価は怖くもあるけれど、でも、結局は自分のなかで、これでよかったな、と思うものが一つでも残せたらそれでじゅうぶんなんだろうなとも思う。

花筵

公園を歩いていたら、大小たくさんの石が、丸く囲うように並べて置かれ、まるで一枚の大きなお皿のようになっていた。そのお皿には、いっぱいの草が盛りつけられ、近くに立っている葉桜からはらはらと舞い落ちてくる数枚の花びらが、最後のトッピングみたいに振りかかっているようだった。

開花のピークも過ぎ、広場には桜の花びらが地面に敷き詰められていた。この光景のことをなんと呼ぶんだろうと僕は考えた。水面の場合は花筏と言うけれど、地面はなにか花の絨毯のような表現があるのだろうか。調べてみると、花筵と言うらしい。はなむしろ。むしろかぁ、と一瞬思った。響きとしては、花の海、花畳、そんな感じの言葉でもいいような気がした。

嵐のような日が数日続き、今日はとてももわっとした暖かさだった。

美を求める心

銀杏の葉が綺麗だと灯りに照らされているみたいで外がぱっと明るくなる。最近は少しだけ暖かいからそれも嬉しい。子供たちが落ち葉をいっぱいに拾っては放って遊んでいた。ぼうっと立っていたら風が吹いてかさかさと枯れ葉が降り落ちてきた。

先日、小林秀雄の「美を求める心」というエッセイを読んだ。小中学生のために書いた文章らしく、数ページの文章でリズムもよく読みやすかった。読み終わってからすっと背筋が伸びるようだった。頭が疲れてもういいよ、と思うことも多いけれど、これなら読むことができた。言葉は大切だけど、言葉ではないところへの眼差しが深い人がいい。

静寂

風や虫の音色だけでなく、光も少しずつ秋めいてきた。haruka nakamuraさんがゲストで出ているラジオをポッドキャストで聴いた。ちょっと前に放送したもの。「誰でもできる演奏が沈黙」という話がよかった。誰もいないときの静けさと違う、祈りのときの静寂がもたらす、繊細で美しい音楽。

とんぼの影

風が吹いて葉のすれる音が響き渡るなかを歩いていたら、数匹のとんぼの影が地面を楽しそうにさっさっと行ったり来たりしていた。空を見上げたら、少し遠くを飛んでいた。