続き

人は、純白のままでは生きられない。生きていくというのは汚れるということ。だから、どうしたって外から見たら、ここが汚れてるじゃないか、という人は出てくる。ひどい汚れのなかでも生きていかなければいけないし、泥沼から這いあがろうとしたら、いっそう汚れも背負っていかなければいけない。それでも、ささやかでも美を目指すことはできる。自分のなかの、今ではとても小さくなってしまっているかもしれない、純なものを探すこともできる。世界に対しても、他者に対しても、自分自身に対しても、目を凝らし、指先を伸ばすことはできる。その意思への尊さが、希望ではないかと思う。